ワシャクトゥン遺跡(マヤ文明) グアテマラ

ワシャクトゥン

埋もれたマヤの歴史を解く鍵

森の中に残るワシャクトゥンの神殿

ワシャクトゥンはグアテマラ北部、ペテン地方の密林の奥に位置する。付近にあるティカル遺跡からは北に24km離れた交通不便な場所だ。ワシャクトゥンは先古典期中期(紀元前900年ころ)に定住が始まった古いマヤの都市で、古典期(紀元250年〜900年ころ)を通して発展、拡大を続けたとされる。元々は独立した都市だったが、勢力を拡大した隣国ティカルとの争いに敗北。その後は衛星都市として存続した。 ちなみに、ワシャクトゥンという名前は米国の考古学者が名付けたもので「八の石」といった意味。その由来は、戦争に勝利したティカルの王からワシャクトゥンの王に贈られた石碑を解読したところ、数字の8から始まる文字が刻まれていたことによる。

 

ワシャクトゥン遺跡の地図。中心部がワシャクトゥン村でその周囲に遺跡が点在している。



紀元前から発展をつづけた都市

遺跡はA〜Hまでグループ分けされているが、まず、中心的な位置づけのグループAを見る。案内板によると、グループAの建築群は先古典期後期(紀元前350年〜紀元後250年)に誕生し、古典期(250年〜830年)を通してワシャクトゥンの権力機構の中心として発展。隣接するグループBとともに王朝の統治システムを形成していたそうだ。

遺跡に通じる村の道。

森に埋もれているようなグループA。

グループAの小型ピラミッド神殿。

最古の石碑建立は328年

グループAには、広場を中心として神殿や宮殿などがあるが、ティカルのように巨大な都市ではないため、小規模な建造物群が森の中に埋もれるようにして点在している。それも、ほとんど修復されないまま放置されているので、何がなんだか分からない

彫刻が施された石碑も多いが、そのほとんどは風化しているし、粉々に砕けているものもある。その中で、小型のピラミッド神殿の横にあるESTELA9という石碑は重要だ。ここに彫られたマヤ文字の解読により、これが328年に作られた、ワシャクトゥンで最も古い石碑であることが分かったそうだ。ちなみに、最も新しい石碑はESTELA12で899年に作られた。石碑というのは王朝の存在と力を示すもので、一応、ワシャクトゥンは非常に長い期間にわたって存続したことがわかる。

神殿横に倒れているESTELA9。

ESTELA9の表面は風化が激しいが文字はかすかに残っている。

砕けてしまっている石碑。

規模の大きい宮殿

グループAの見所は、宮殿垢筏榲A-将爾瞭鵑帖F辰傍榲足垢呂なり規模の大きい建築物で、一部の石組みが傾斜した独特の形をしている。これは、テオティワカンのピラミッド建築に代表されるタルー・タブレロ様式のタルー(傾斜壁)だ。タルー・タブレロ様式はテオティワカンの影響によってメソ・アメリカの各地域に伝わり、様々なアレンジが加えられた

実は、メキシコ中央高原から勢力を拡大したテオティワカンはマヤ地域にも侵入。378年にこの地方の最大勢力だったティカルを征服した後、ワシャクトゥンも屈服させたことが石碑の解読で分かっている。この時、ワシャクトゥンの王はティカルに連れていかれ生贄にされたようだ。タルー・タブレロ様式の神殿を建築したのはこうした歴史的背景があったからだろう。有名なのはグループEにある仮面のピラミッドで、こちらはタブレロ(垂直壁)の方が大きくなっている。一方、この宮殿垢妨られるタルーが重なった形状も独特で面白い。

 

王朝の中心部だったグループAの宮殿后

規模は大きいが、修復はほとんどされていない宮殿后

タルー(傾斜壁)によって作られた部分。


宮殿A-将爾歪絞形の基盤の上に漆喰で装飾された建築物が乗った形をしており、このグループでは最も良く復元されている。基盤部の形状は、やはりタルー部が大きいタルー・タブレロ様式に見える。

かなり復元され、基盤部の傾斜壁もハッキリ分かる宮殿A-将次

球戯場くらいしかないグループB

看板にあったグループBの想像図では、赤色で塗られた神殿と宮殿が組み合わさった華麗な場所だったようだ。

案内図によるとB-爾箸いΕ團薀潺奪彪真静造鮹羶瓦法球戯場や建造物、石碑などが並んでいるが、現状では、復元されているのは球戯場くらい。ピラミッド型神殿は土に埋もれており、石碑も、雨よけの小屋掛けがされているが、風化が激しく絵や文字などはほぼ見えない。

グループBの想像図。

マヤの重要な神事を行った球戯場。

雨よけがついた石碑3。

重要なグループEだが…

ワシャクトゥン遺跡でもっとも古いのは、グループEということだが、最大の見所もグループEにある。ここには仮面の神殿や太陽の動きを利用した宗教儀礼を行うための建築群があるのだ。太陽の動きを利用した仕組みの建築は多くのマヤの都市で確認できるが、これを「Eグループ」と呼ぶそうだ。それは、最初に確認されたワシャクトゥンのグループEにちなんでいる。

ただ、この遺跡への交通手段は一日1本ローカルバスだけ。しかも、夕方村に着き、翌早朝にバスが出るため、遺跡をゆっくり見るには村に二泊する必要がある。この村には電気も通っていないため、食事の時までは発電機を回すが、部屋もトイレも真っ暗という状況。こうしたことを理解し、事前に準備していかないとかなりきつい。

帰り際の村の広場では子豚が遊んでいた。

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★★

評価の基準:
★★★★★=文句なしに素晴らしい、絶対お薦め。
★★★★=かなりいい、是非一度見てほしい。
★★★=なかなかいい、見逃すのは惜しい。
★★=まあまあ、期待しないで見てみてはどうでしょう。
★=特にお勧めはしません。

遺跡は神秘的な感じはあるものの、建物など復元は進んでおらず、面白さはあまりない。秘境の探検気分は味わえると思うが、お薦め度は★★。


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フローレス周辺の交通図

ワシャクトゥンへは、フローレスの対岸にあるサンタ・エレナの市場からバスが1日1本出ている。午後2時に出発し、ティカル遺跡を抜けて、午後5時ころワシャクトゥン村に到着する。



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