プエブラ  メキシコ

プエブラは、メキシコシティの東部に位置し、首都とメキシコ湾岸の主要都市ベラクルスを結びつける重要な街として発展した。スペイン人到達以前は近隣のチョルーラにアステカ帝国の衛星都市があり、スペイン人などにより住民の虐殺が行われた歴史がある。また、 スペインからの独立後の1862年には、メキシコ侵攻を企んだフランス軍をメキシコ軍が打ち破った「プエブラの会戦」が起きた場所としても知られる。

メキシコでも有数の大都市だけに、コロニアル様式の町並みは規模が大きい。1987年に世界遺産に登録されたことで歴史地区のリニューアルが進んだようで、街並みの美しさではメキシコ随一と言える。写真はプエブラの中心にあるソカロ広場に面した市庁舎。

プエブラへの行き方

メキシコシティからは長距離バスで2時間。プエブラはフォルクスワーゲンの工場などがある工業都市でもあるため交通の便がいい。メキシコシティの「東方面バスターミナル」から、数社のバスが頻繁に出ている。

 

街の中心となっているカテドラル。地方都市のカテドラルとしてはかなり規模が大きく、鐘楼も高い。


プエブラは「天使の街」と呼ばれるが、それは、天使がこの教会の鐘楼に巨大な鐘を吊るしたという伝説から来ているそうだ。教会を取り巻く柵などに天使の像が置かれている。


ソカロ広場の周辺はレストランやカフェが多い。標高2100mの高地のため、日中の日差しは強く、並べられたパラソルの下で昼食を摂ったり、お茶を楽しむ人で賑わっている。


見事な装飾が施された教会の壁面。白壁と真っ青な空とのコントラストが美しい。


歴史地区の建物はそれぞれにデザインや色彩の個性があり、昔のヨーロッパ映画で見るような古風で重厚な街並みを形づくっている。


プエブラはスペインの焼き物技術を用いたタラベラ焼きの産地として有名。このため、建物の壁面にもタラベラ焼きのタイルを使っていることが多い。写真は植民地時代に副王の館として使われた、通称「砂糖菓子の家」。色彩鮮やかな白と赤のタイルが特徴だ。


1910年のメキシコ革命の際、武装蜂起を企んだ革命家アキレス・セルダンが警官隊に射殺された家。その壁には今も銃弾の跡が残る。この家は現在、革命博物館となっている。


プエブラに行ったら、是非、食べたいのが名物料理、モレ・ポブラーノ。郷土料理の店チナ・ポブラーナ(中央の庶民的な感じの店)でも食べられる。


モレ・ポブラーノ(プエブラのモレ)は、チョコレートを使ったソースのこと。一般的には鶏肉にかけて食べる。チョコレートの独特なコクが料理に深みを与えるが、結構難しい料理で、店によってはまずいと感じることもある。ちなみに、この店のは美味しかった。



ラテンアメリカ博物館
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