コパンは紀元5世紀から9世紀にかけて栄えたマヤ南東部の有力都市だった。その歴史は、残された碑文の解読などでかなり詳しく分かっている。コパン王朝最初の王は西暦426年に即位した「キニチ・ヤシュ・クク・モ(Kinich Yax Kuk Mo)」だったという。この王は近隣の大都市ティカルの出身だったらしく、その後、王朝はティカルの支援の下で発展し、695年に即位した第13代の「18ウサギ王」のころに最盛期を迎えた。
しかし、ティカルともう一つの大都市カラクムルの対立がこの地域に波及。当時、コパンの属国であったキリグアがカラクムルの支援で反乱を起こす。これによって18ウサギ王が殺されたことでコパンは衰退。822年に即位した第17代「Ukit Took王」がコパン王朝最後の王となったと推測されている。
マヤ文明の都市では王の姿や事績を刻んだ石の彫刻やモニュメントがよく作られた。その多くは、石板に浅浮き彫りを施しているが、コパンの石碑(STERA)は上写真のように丸彫りに近い形になっているところに特徴がある。
この石碑は18ウサギ王を象ったものだが、この時代のコパンが文化的にも技術的にも爛熟していた様子がうかがえる。これだけ見事な彫刻群を残すマヤ遺跡は他にはほとんどなく、数多いマヤの遺跡の中でも稀有な存在と言える。
コパンはホンジュラスの西部に位置し、隣国グァテマラの首都からアクセスしたほうが早い。グアテマラ国境の町チキムラからバスでホンジュラス国境に行き、そこからバスかワゴンに乗り換えてコパンの町へ行ける。町から遺跡までは歩いて20分程度。
グランプラサの南側にある、古典期(西暦300年〜900年)では最大の球戯場。これも18ウサギ王が作ったものとされる。マヤでは球戯は非常に神聖な儀式で、この結果は王朝の運命を占う役割もあった。
18ウサギ王の時代に、コパンは属国キリグアと対戦したが、この結果コパンが敗北したとされる。この時、キリグアは18ウサギ王を待ち伏せして捕らえ、殺してしまったようだ。王を殺されたコパンは軍事的な力が衰え、この後はキリグアの勢力が拡大していった。
コパンは遺跡の規模では、チチェンイッツァやティカルのような大都市には及ばないし、ピラミッドなどの建築物も多くはない。ただ、ここには他の遺跡にはない石の彫刻が多くあり、その美術的価値も非常に高い。それだけに、美術好きの人は、じっくり見ていくと夢中になってしまうだろう。遺跡の雰囲気も良く、古代の世界に浸れるのもいい。日本人の学者を中心とした発掘調査が行われ、新たな宮殿などの様々な発見が報告されているのも興味深い。 ホンジュラスの僻地に位置するためアクセスはあまり良くない。ただ、遺跡近くにあるコパンの街は観光開発が進み、ホテルやレストランがそろっている。