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コパンの中心部に当たるグランプラサ(大広場)の北側には丸彫りに近い像が7体立っている。これは、すべてコパンが隆盛を誇ったころの支配者であった「18兎王」のもので、顔のかたちから若いころから年をとるまでの経過が彫られている。これは若いころの王の顔だ。
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グランプラサ北側を占める石碑群。このうち、6本は広場の中央を向いているが、写真中央の1本だけ広場のほぼ中央部に立ち、石碑の両面に異なった歳の王の姿が彫られている。石碑は赤い色で着色されているが、この石碑は倒れて地中に埋もれた状態にあったため、色が残ったようだ。
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それぞれの石碑は、同じ人物を象ったとは思えないほど異なった姿で掘られている。背面や側面にも彫刻が施されており、その多くはマヤ文字になっている。(右写真はレプリカ)
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グランプラサには石碑のほか不思議な形をした彫刻も数多く置かれている。写真は祭壇のようだが、マヤらしいシュールで面白いデザインだ。
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グランプラサの南側にある、古典期(西暦300年〜900年)では最大の球戯場。これも「18兎王」が作ったものとされる。マヤでは球技は神聖な儀式で、この結果は王朝の運命を左右するほど重要なもだった。コパン絶頂期の「18兎王」の時代に、属国だったキリグアと球技で対戦したが、予想に反してコパンが敗北。この結果、キリグアの王は「18兎王」を捕らえて殺し、キリグアはコパンを凌ぐ勢力になっていったということだ。
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ピラミッド型神殿に設けられた神聖文字の階段。62段の階段の垂直面すべてにマヤ文字が刻まれている。ただし、崩れた階段を修復する際、内容が分からないまま石を積んだため、何が書いてあるか分からなくなってしまったそうだ。この神殿を作ったのは第15代の「煙貝王」で、その像が階段の前に置かれている。現在、この神殿の修復がかなり進んでいるが、階段は風雨を防ぐためテントが掛けられている。
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コパンの南側に位置するアクロポリスにある11号建造物。この建物は第16代ヤシュ・パッサフ王の住居だったとされている。壁面に猿の顔をした奇妙な人間の像が据えられているが、これは暗黒神ということだ。
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コパンの歴史を知る上で重要な役割を果たした祭壇「アルタールQ」。側面に彫られているのはコパン歴代16人の王の姿で、上面にはコパン王朝に関する記述がマヤ文字で彫刻されている。この面に彫られている人物は、中央右が第16代のヤシュ・パッサフ王、左が初代のヤシュ・クック・モ王で、初代が16代に王権を授ける形になっている。
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アクロポリスの南端にある18号神殿は、コパン最後の王となった第16代ヤシュ・パッサフが埋葬された所。その壁には戦士の姿をした王の彫刻が残っている。 |